風水都市 - 名古屋の歴史
風水師・有希
名古屋市、即ち旧尾張国は、織田信長、豊臣秀吉、柴田勝家といった有名な武将を多数輩出し、これらの武将の影響を大いに受けた都市です。
また、徳川家康が天下統一の最後の布石として名古屋城を築き、その後も徳川御三家の一つとして栄えました。
それぞれの武将の中で、都市造りに最も風水の思想を取り入れていたのは、
江戸城や日光東照宮の建造に風水の思想を取り入れた天海僧正をブレーンとして抱えていた徳川家康でしょう。
織田信長誕生の城とされる那古野城跡周辺に、
名古屋城を築いたのも名古屋市特有の地形を見てのことと推察されます。
江戸時代後期における名古屋城の施設、規制あるいは慣習などを詳細にまとめた
金城温古録
に、名古屋城を『四神相応の要地の城』と記載されていることからも徳川家は風水を重用していたことがわかります。
織田信長も風水を気にしていたという報告もありますが、風水的に全く恵まれていない安土城を建造した所を考慮すると、どうもその信憑性は疑わしいようです。
風水都市 - 名古屋の地形
名古屋市は、北には玄武として岐阜県の高い山々があり、西の白虎としては三重県と滋賀県境の山々があり、
また東にも段戸山や茶臼山などがあり、南には名古屋港がありますので、風水的には確かに四神相応を備えた恵まれた立地といえるでしょう。
ただ、玄武と白虎からやや離れすぎていますので、緩やかな山の中腹ではなく、土地が平坦で、海抜が低い土地が多いことが残念な所です。
2011年の豪雨で大規模な避難地域が出ましたが、
地球温暖化に伴う異常気象の影響もあり、水害の危険性の回避については今後益々大規模な対策が必要になってくるでしょう。
名古屋の地形